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日本競馬最大の祭典が「日本ダービー」である理由

2017/08/10

考えている男性と女性

皆さんは競馬が元々なんのために始まったかご存じでしょうか?

これは意外と知られていない歴史ですが、日本の競馬は元々「軍用馬の品種改良」を目的に始まりました。日清戦争・日露戦争を通じて、日本の軍用馬のレベルの低さを思い知った陸軍からの進言もあり、軍用馬の品種改良を目的とした洋式競馬の導入が決定されます。

しかし競馬によって品種の優劣をつけること自体は問題なかったのですが、馬産地の生産者に資金がないと品種改良もまになりません。そこで明治政府はギャンブルを禁止している立場ではありましたが、馬券の発売は事実上黙許することに。

こうして明治末期に始まった日本の洋式競馬ですが、ギャンブル行為であることに変わりはありません。こうなると全国各地で草競馬が開催されるようになり、金の匂いに敏感な輩が金儲けを目的に競馬を開催することで、日本各地で風紀の乱れが見受けられるように。

これに危機感を抱いた日本政府は馬券の発売を禁止しました。これにより悪質な草競馬は淘汰されましたが、苦しいのは馬産地です。馬券収入で潤っている間は新たな品種改良もできましたが、馬券収入がなくなると一気に台所事情は苦しくなります。

そこで馬産地の生産者たちは「我々が目標にできる大きなレースの創設」を訴えます。お金があまり入らないとしても、生産者たちのモチベーションとなるレースの創設を望んだのです。

そのレースがイギリスなどヨーロッパで行われていた「ダービー」という競走です。日本競馬にはこれまで「馬齢・性別を制限した」レースは存在しませんでした。そういった意味でも存在の大きなレースだったのです。

この「ダービー」を実現するのに奔走したのが安田伊佐衛門。あのGⅠレース「安田記念」の安田さんです。安田さんが政府関係者に働きかけ、従来のレースにおける最高賞金を大きく上回る優勝賞金の「日本ダービー」が誕生しました。1930年、昭和5年のことです。

つまりダービーとは日本競馬界の歴史において、大きな転換点となるレースと言えます。

競馬創世期の競馬関係者は皆、このダービーを目指して1年間仕事をするようになります。そしてその習慣・風習は今でも競馬界に残っており、「競馬界の正月は日本ダービー」と言われるようになっています。現在は時代も代わり、日本ダービーよりも賞金の高いレースもできましたが、それでも競馬関係者にとってダービーは特別なレース。

1993年、日本ダービーを優勝したウイニングチケットの鞍上には、柴田政人騎手の姿が。デビュー以来数々の記録を打ち立ててきた名手柴田騎手も、ダービーには18回挑戦して未勝利。

ダービージョッキーに憧れ続けた柴田騎手の執念が実ったダービー初勝利でした。このウイニングチケット、ダービーまでは好成績を残していましたが、ダービー以降はいいところなく引退。「柴田政人にダービーを撮らせるために生まれてきた馬」と呼ばれています。

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